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2006年 02月 05日
大きな買い物Ⅱ
大きな買い物Ⅱ_f0009086_22201764.jpg


やっと決めました。大きな買い物Ⅱです。
体調を崩したおかげで大急ぎで決めてしまいました。
エリシオンです。
今後最低3年はお世話になります。
ホンダさんには3年ぶりにお世話になります。
もうビックリの交渉でした。
口火を切ったホンダさんに敬意を表してエリシオンに決めましたが、
対抗のエルグランドやアルファードも価格ではほぼ横一線でした。
誤差3万以内の激戦だったです。
結論から言ってアルファード、エルグランドはでかすぎ。
エスティマも良かったけど、ちょっと高かったのと、
あまりシートの色が選べなくて断念しました。
自分しか乗らない(女房は免許なし)ので洗車なども自分一人でいつもしてる関係上、
あまりでかいと自分が洗車中、夏に溶けたり、焦げたりとか
冬に凍るかもしれないじゃないですか?
で、屋根が守備範囲なエリシオンにしました。
運転した感じも一番GOODでした。
音とかも好きな感じでしたしね。
とにかく、無事契約終えてすっきり安心しました。
今の車、あやうく車検切れるところだったし。。。。

# by seawolf_squall | 2006-02-05 22:28 | PHOTO日記
2006年 02月 03日
雲上夢片(うんじょうむへん)


雲上夢片(うんじょうむへん)_f0009086_19351997.jpgいつもそうだった。
「バカヤロウ」が口癖だ。
「バカヤロウ、てめえ」と言ってその後でニヤリと笑う。
俺があっけにとられているとそのうちに歯を見せて「はっはっは」と声を上げて笑うのだ。
何故、俺が好かれていたのかは解らない。が、確かに自分でも可愛がってもらっていたという
自覚がある。
その証拠に二人で飲みに行く事も少なくなかった。
当時、俺は20そこそこ。主任は16上だった。
俺の直属の上司はチーフでこの人が32歳、一回り上だった。
主任は仕事は出来たが敵も多かった。
それまで100時間を越える残業を30時間以下に減らした人だ。

音楽関係の仕事とはいえ、企画して卸す会社だからそんなに派手な会社でもない。
それでも人気はあった会社に何故か入社試験にパスし、合格した。
後で聞いたら数10倍の競争率だったようだ。
もっともあの頃、東芝EMIには2人募集のところ3000人近くが申し込んだと
いうからそれに比べれば大した事はない。
仕事柄、営業以外がスーツを着る会社ではない。
通勤の時、主任はいつも胸を開けた柄のシャツとジャケットにエナメルの靴を履いて、
冬はその上に革のロングコートを肩に羽織る。
会社ではエナメルから雪駄に履き替える。冬でも雪駄だった。
髪の毛は綺麗になでつけ、ロッカーには高そうなコロンがいつも入っていた。


いつも新譜の配布は主任と俺でやっていた。
新譜はメーカーごとに発売日が決まっているのだが、
21日と25日が多い。特に21日は6割のメーカーが発売するので
膨大な量になる。店には発売日1日前に配達するのでその前々日くらいから
商品を出荷するための準備をしていた。
主任はLP、俺はシングルとカセット。
新譜の棚にメーカー順、企画番号順に並べて入れておく。
伝票の出力にしたがって各店舗ごとに出荷していくという作業。
主任が出したLPに俺がシングルとカセットを足して行き、
一つの店舗の出荷が終わる。
もたもたしていると主任の出荷したLPが俺の前で溜まる。
あまりに溜まると、主任は黙ってシングルを出荷し始める。
俺はしばらくはカセットだけの出荷になり、溜まった商品がはけると
また主任はLPを出し始める。
そのときにも「バカヤロウ、早くしろよ」
そう静かに言ってニヤリと笑う。
デイリー業務が終わってからの作業なのでこの新譜の時は
いつも残業は免れない。
年末などは10時過ぎまでやったりしたものだ。
そういう時、主任は決まって差し入れをしてくれる。
コロッケだったり、肉まんだったり。。。
そして黙って食い終わると、また黙々と出荷するのだ。

ある時、俺は営業所長と衝突しそうになった事があった。
みんな影では日和見的な態度の所長を悪く言っていた。
でも、表では当たり前だがそんな事は言えない。
俺は気に入らない事があったのか、はっきり言おうとした。
若いからといえば聞こえは良いが、どこかで捨ててしまうようなところが
俺にはあった。腹が立つと「もうどうでもいいや」という考えになってしまう。
その時、主任に止められたのだ。
仕事が終わってから、主任に呼び出され、
途中下車した駅の近くの串焼き屋に連れて行かれた。
黙ってカウンターに並んで座り、飲んで食べた。
俺は我慢できなくなって思わず主任に言った。
「俺、辞めたっていいんですよ。言いたい事言わせてください」
「バカヤロウ おまえいつまでたってもガキだな。
そうやってジタバタしてると身動き取れなくなるんだぞ。」
「でも俺、間違った事してないじゃないっすか」
「だからお前はガキだって言うんだ、俺が言ってる。わかるか?」
「悔しくないんすか?俺達のせいにされて。。。」
「いいからこらえろと言っているんだよ」
そう言って主任は横で酒を飲み干していた。
俺はそう言われる事が嫌じゃなかった。
俺を信頼してくれている。そんな感情が言葉のどこかから拾える気がしたからからなのかも知れない。
影で言っていることを何故ああいうところで言わないんだという思いがあったが
そんな俺の思いは主任は良く解っていたのだろう。
主任の有無を言わさない言葉に俺は決まって「はい」としか言わなかった。
何故とかだからとか余計な言葉を言う事が好きじゃなかった。
主任にしてみればそこが良かったのかもしれない。
余計な説明は主任もしなかった。
俺がそういうものを飲み込んで返事をしている事もわかっていたからなのだろう。

一声かければ大勢の仲間が集まる人だった。
新宿でよく飲んだものだ。
あまり綺麗な店で飲んだ記憶はないが、いつも美味しい店を自分で持っていた人だった。
私がその会社を辞めたのは、主任が辞めた半年後だった。
僅か3年で辞めた。主任がいなくなったからという訳じゃないつもりだ。
その後20年以上も付き合いが続いた。
いろんな人に珍しがられたが、俺の中では主任と俺の関係はずっとあの時のままだった。
だから仕事上での上司と部下の関係ではとうになくなっていたのに
しばらくは相変わらず俺は「主任」と呼んでいた。
すると決まって「バカヤロウ」と言ってはにやっと笑った。
俺はその照れたような「バカヤロウ」が好きだった。
いつも大勢の人間が周囲にいる人だった。
なのに何故か俺とは二人でいることが多かったように思う。

そんな人が一人で逝った。結婚もとうとうしなかった。
何も誰にも言っていなかったようだった。
電話で連絡を取り合った元会社の仲間も誰一人知らされてはいなかった。
「おまえが知らないんじゃなぁ。。。」チーフであった元上司は俺に電話でそう言って
しばらく黙り込んでいた。

酒と本と唄う事が好きで、少林寺をやっていた。
格好は新宿じゃ本物と間違う程だ。
当時の主任の歳を今の俺はとっくに上回っている。

そして主任が57で逝った事を教えられた夜、
俺は久しぶりに夢中になって小説を読み終えたところだった。
「黒龍の柩」という本で著者は北方謙三だった。
信じられないまま寝床に入って考えていると、思い出した事があった。
主任の愛読書は「竜馬が行く」だった。良く勧められた記憶がある。
後に俺は「竜馬が行く」と「坂の上の雲」と司馬遼太郎の本では読んだ。
主任はこういう時代、つまり幕末に生きたかったのだろうと思った。
またこういう時代に生きる事がこれほど似合う人もいないだろう。
そして思ったのだ。本当に誰にも自分の事を教えなかったのか。
俺にこの本、「黒龍の柩」を読ませたのは主任じゃなかったのか。
何故って、この本の主人公は土方歳三だったから。
主任が読みたかったんじゃないのかとふと思った。

翌日、通夜に出席した。
俺の服装は思いっきり派手なものだった。
カシミヤのダブルロングコートにダーバンのシルクのダブルスーツ、
青紫のシャツにセルッティのネクタイ。。。
主任が喜びそうな格好だと思えた。

親類に挨拶をし、焼香台の前でふと顔を上げると、
あの照れたような顔の遺影が俺に何か話しかけてくる。
俺は溢れてくるものに驚きながら焼香を始めた。
まるで自分のものじゃないように冷静だったが
視界は滲んでいた。
「主任、あの本、俺に教えてくれたんじゃないすか?」
「ばかやろう、そんなことどうでもいいだろう、
それより、お前らがそっちでぐずぐずしているうちに俺は
夢追ってこんなに高いところまで来ちまったよ」
会社を辞めてからは二人で起業し、それも途中で相手に逃げられてからは
借金を一人で完済し、新潟の店にまで自分のところから商品を卸していた主任。
決して楽ではなかった筈なのに、そんな事は口には出さなかった。

その後、以前の職場の人と飲むことになった。
チーフがぽつりと言った。
「すい臓癌で入院して1週間だったらしい」
「あの人らしいですね」
まるで一陣の風のように生ききった人だった。

主任、今度は何やるつもりですか?

主任、そっちでは夢、つかめそうですか?
今度はもっと自由に生きてください。
俺らはもう少しだけジタバタしてみますよ。
「ばかやろう、こっちへ来るなんてガキのお前にゃまだまだ早いんだよ」
そういって照れたように笑う。
俺が焼香を終え、背を向けた時だった。
「じゃあな」
確かにあの声だ。
背中に言葉が突き刺さったようだった。
嘘のように涙が頬をつたっていた。
「俺、もう主任と仕事していた時の主任よか年上っすよ。でも、ガキでもなんでもいいです。
だから。。。すいません。。。」
そこまで心の中で言うともう糸が切れたようで溢れるものを止める事が出来なくなっていた。
「ばかやろう、泣くな。きちんと別れを言えよ」
俺は言葉にならない言葉を呟いていた。
「ありがとうございました」
振り返ると照れたような笑い顔があっただけでもう何も聞こえなかった。

# by seawolf_squall | 2006-02-03 19:16 | 思考の深淵
2006年 02月 03日
インフルエンザは気合で治らない
インフルエンザは気合で治らない_f0009086_1915658.jpg


別に妊娠したわけではない。
これで「お子さんA型ですねー」などというものではない。
インフルエンザの試験の結果だ。
しっかりA型インフルエンザにかかってしまった。
1/10から休み無く働き、その途中には完徹もあり、自分の担当している
仕事も一段落した頃、やっと取れた2/2からの4連休。

悲劇は2/1の夜から始まった。
明日から休みであれもこれもやらなきゃならない楽しいことが目白押しで
そんな事を考えながら床についたのだが、
どうもトイレが近い。そのうちに段々熱っぽくなってきた。
翌朝、計ると37.8度。これは単なる風邪だろうとたかをくくっていた。
その日の晩、(2/2)こんなものは気合で直すんじゃい!と
風呂に腰湯で約1時間つかり、どっぷり汗をかくと36.7度まで下がった。
「ほうら風邪なんてこんなもんさ」と床に就くがまたしてもあがっている気配。
しかも半端じゃなく寒い。

まったく眠れないまま、翌朝また熱い風呂に入るがまったく汗をかかない。
上がって熱をはかると39.3度。これはひょうっとしてインフル君?
仕方が無く今日医者に行くとばっちりA型でした。
タミフルを貰いはしたものの、「もう遅いかも」と薬剤師に言われ、
使ってみたが、まったく効果ないまま、夕方には39.3度の熱を押して
アルファードの試乗に。。。
もう来週中には決めないと、車検が切れてしまう。
江戸っ子の威勢の良さもインフルエンザの前には屁のツッパリにもなりませんでした。

それでも私の偉いところは食欲が全く落ちないこと。
味は熱のせいで解らないが、腹は減るのだ。

これが「野獣並み」の回復力と昨年看護婦さん等に言われた所以かもしれない。

# by seawolf_squall | 2006-02-03 19:15 | 戯言
2006年 01月 20日
あわてない あわてない について
下の記事についてちょっと心境を書きたいと思った。
誰に宛てたものかという質問が他のBLOGであったからだ。
別に誰に宛てたというものではない。
でも、行き急ぐ人があまりにも多い事に少々危惧を感じるのだ。
例えば堀江、小嶋の両社長、例えば塾を梯子して通う小学生、
例えば仕事先の隣の席の人かも知れない。。。

行き急ぐは生き急ぐ事なり。
生き急ぐ事、それは死を近づける事なり。
生を費やす事は死を引き寄せる事なり。

あなたが今やろうとしている事は明日じゃどうしても駄目ですか?
それは仕事ですか?
それは勉強ですか?
それは家事ですか?
それらは何か犠牲にしていませんか?

そんな想いで書いたのだ。

# by seawolf_squall | 2006-01-20 22:42 | 思考の深淵
2006年 01月 19日
あわてない あわてない
あわてない あわてない

ひとやすみ ひとやすみ

いそがしいときはむりしない

やさしくなれたら もどっておいで

# by seawolf_squall | 2006-01-19 00:11 | 戯言