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2014年 09月 03日
父の掌
先日、夏の終わりの風物詩になりつつある、
某TV局の24時間番組に見知らぬ
シンガーソングライターが
歌っているのをたまたま見かけた。

彼は難病の為、
いずれ自分が変わり果てた姿になる事を
受け入れて既に出辛くなってしまった
声を精一杯に武道館で唄うという企画
(あえて企画という言葉を使おうと思う)
の1番盛り上がる感動の部分を偶然見た。
彼は私と同年代であり、まだまだ幼い
2人の子供もいる。
歌っていた歌は彼が病と分かる前、
痴呆症になった彼のお父さんの事を
歌ったものだという。
この歌の一節に、
「あなたの手を握らせて欲しい」
という部分がある。

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私はここで自分の父の事を鮮明に思い出した。
70歳を目前にして、
父はリンパ癌を宣告された。
医師のセリフだと60%の確立で治らない。
と言うことのようだった。
直接聞いた母は「60%で治らない」の意味が分からないようで、
私にどう言う意味だろうと不安げに訪ねて来た。
私は母に父は癌で死ぬことになるかもしれない。
と、ハッキリと言い、理解をしてもらった。

その後、具体的な治療は
医師の判断で手術に耐える体力が無いことから
投薬による治療を入院して行う事になった。
投薬の副作用でみるみる痩せて行く父。
元々痩せていたのだが、
骨にうっすらと皮が張り付いているような、
そんな状態になって行った。
半年で治療の第一段階を終え、
退院して来たのもつかの間。
体力が落ちて抵抗力がなくなった事から、
今度は結核を発症した。
家族を巻き込んで、周囲の人間は
結核の検査をすることになる。
私の息子もまだ2歳程だったが、検査を受けた。
父はもちろん隔離病棟で半年間結核の療養生活を送った。
父が退院して戻って来ると、
今度は母親が結核菌による神経の不具合で入院。
しかも父は結核の治療薬の副作用で目が殆ど見えなくなっていた。
私も父母のフォローで身動きが出来ないと思うような毎日だった。
毎日10Km程離れた実家に仕事から帰ってすぐに食事の支度をしに行った。
一度にその日の晩、翌日の朝と昼の分を作る。料理の本も買ったりした。

そんな事をしているうちに、父が背中の痛みを訴えた。
癌と言われてから3年目の事だ。
夏の終わりにかかりつけの病院に
その日私は仕事を休み、父母を車で乗せて行く事になった。
父は耳もよく聞こえないのか、
やたらと大きな声で「お前は運転が上手いな」と繰り返して言って上機嫌だった。
だが、おかしな呼吸音をさせながら、
大きな声を出している様子は、普通じゃ無い事は誰にでも察しがつく。
きっともう呼吸器系統も駄目なのかもしれない。
そんな不安と本当にこれが現実なのかという恐れが心に渦巻く。
運転するハンドルが汗で妙に粘ついたのを覚えている。

病院に入る前に「ちょっとここで待っていろ」そう言って父は母を連れて、
病院のそばにあるスーバーに入って行った。
出てくると寿司のパックを一つ、私に手渡した。
待たせることになるのが気になっていたのか、腹が減ったら待合で食べると良いと言い、ニコニコと上機嫌だった。

父は胸部のレントゲンが撮れなかった。
背中をあの硬いガラス板に付けて寝ることが出来なかったのだ。
母と看護師は困った顔をしながら、
担当医の問診を先に受けることにしたようだ。
診察室に入ると直ぐに「緊急処置中」という、見たこともないテロップが待合のモニタに流れ始める。
後ろで父の後に診察を待っていた中年の患者が舌打ちをするのが私の耳に聞こえた。

テロップが消え、私と母が診察室に呼ばれた。
医師は柔らかい口調で手の施しようがない事を私達に告げた。
もう両方の肺と心臓を背骨を回り込むようにして癌細胞が覆っているという事だった。
私が「あとどの位持ちますか?」と、聞くまで母には父の死が具体的になっている事を告げられた事がわからなかったようだ。
むしろ、そう理解することを拒んでいたのかもしれない。

医師は静かに「後、1ヶ月位だと思います」と私達に告げた。
まるでドラマのワンシーンのように、その瞬間は静かにゆっくりと流れた。

別室で座って点滴を施されていた父のところへ行き、点滴が終わるのを待って病院の玄関まで車椅子を使い、父を運び自分の車を取りに行った。
父は車に乗り込む際に、ごく自然に私の手を握った。
そうしないと車に乗り込む事が出来なかったのを自分で分かっていたからだろう。
恐ろしくか細く、冷たく乾いた掌に、迫り来る父の死を突きつけられ、抗えないことを私は悟った。
それでも遠慮がちに私の手を握ってくる父の掌。
私はしっかりとそれでも優しく握り返し、父を車内に誘った。

父は本当に一月後に亡くなった。
最後はそれなりに苦しんで逝った。
癌とはそういうものだ。

テレビをみていてあの時の父の気持ちが未だに分からない。というより分からなかった自分が鮮明に戻ってくる。
あの時の父は私を頼ったのか?
それとも私に勝てなくなった自分に諦めたのか?
私の手をさりげなく握った父。だがそこには遠慮のような、抵抗のような、
微かな逡巡を感じたのは私の気のせいか。

どんな気持ちで私の手を握ったのだろう。
それは私が死ぬ頃にわかることなのだろうか。
私も息子の手を握ろうとするのだろうか。
その時、息子にどんな気持ちを残すのか。
父の気持ち。息子に追い抜かれることに何かを残そうと、あるいは伝えようとしていた。
自分の都合でしかないが、今の私はまだそんな風に思いたいのだ。
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by seawolf_squall | 2014-09-03 22:22 | 思考の深淵